アニメジョジョ5部を見た

Amazon Primeで「ジョジョ」の5部を見た。ジョジョは今まで何度もトライをしては挫折をするを繰り返していた。ジョジョ作品は後世へ影響を与えた名作だという評価は知っていたし周りにもファンも多いしでなんとなく見てみようとは思いつつもあの独特の絵やテンションの高い台詞に馴染めず、というかそもそもかつての名作って今見るとそれを下敷きにした創作物に触れすぎててなんか物足りなく感じることも多いので、そういう元祖作品の二の舞になるのでは、満足できるのか、と疑心暗鬼で、モチベーションが結局上がらずに放置していた。5部がとっつきやすいという話を聞き、では、と今回暇にあかせていっき見をした。

 

とりあえずざっとこれまでの流れは頭に入った状態で、ジョジョブチャラティ、ミスタという人がでてくることだけしか知らない状態で見た。一番びっくりしたのは、ブチャラティという「ブ」なんて不吉な音と「チャラ」なんておちゃらけた続きをもつ名前が敵サイドでなかったこと。なんか顔なめたり脳死状態の仲間の眼球や指を持ち歩いたりと、最初はひょうきん小物ムーブが強くて「これがあの人気キャラ・ブチャラティか…?」と私のなかの空想上のブチャラティとの折り合いがつかず困惑していたけれど、どんどん格好良くなり幹部の貫禄を漂わせ市中でも人望があつい描写も出てきて、なるほど納得の魅力的な人物だった。

私は人体破壊、特に肢体の欠損描写がちゃんと入るものが好きなので、そうは言いつつ眼球を持ち歩いているブチャラティにはまあ正直テンションが上がった。直で持ってきたのだろうか、それともジップロックとかに入れてきたのだろうか。ブチャラティがバラバラになる電車のシーンもだから良かった。くっつかなければなお良かった。かんたんにバラけた肢体が元通りになるのは好きではない。戻らない欠損のリスクがある世界だからこそ欠損は輝く。

 

ミスタのスタンド「セックス・ピストルズ」が可愛かった。にぎやかで大変よい。それにしても、スタンドは持ち主の精神のかたちを反映しているという説明があった気がする。ミスタは分裂症気味なのだろうか。明るくポップな人物に見せておいて説明なしにそのような暗めの奥行きを想像させるのがぞくりとしていいな、と思った。彼は物語の中ではわりと常識よりに立つ人間に見えるが、根本の部分で倫理観を社会常識と一致はさせていない気がする。
今回ギャングものということで、彼らの行動規範や倫理観が見ている側とずれており、かつそこへのつっこみがなく「あたりまえ」とされているのがスリリングで心地よかった。船に潜んでいたスタンド使いの男を倒した後、その男の生首を直射日光をさらしつつナランチャ、ミスタ、アバッキオが踊るシーンは最高だった。ここには別の独自の倫理があるということが強烈に印象付けられ、別の世界を見ているということ、どこに連れて行かれるんだろうとわくわくした。

 

その他諸々楽しく見た。
しばらくたって、悲しい気分になっていることに気がついた。以降、それについて。

 

ブチャラティでない自分に傷ついた。
あまりにくだらなくて辟易するが、ブチャラティに傷ついた。
ブチャラティ、めちゃめちゃ格好良かった。強く(「ジッパーってかっこいい、ついていればいるほどいい」が服を選ぶ際の基準だった小学生の頃を思い出した)、優しく(昇進待ったなしの状況でボスを裏切るその信念の強さ)、人望に溢れ(部下はもちろん、街の人にまで好かれるなんて…)、ビジュアルも慣れればこの世界ではかなりいい感じに見えてきた。そんなん好かれるに決まっている。わたしがこの世界にいたらぞっこんだろう。

でも、じゃあ暗殺者チームの立場はどうなるんだ。暗殺者チームは能力も社交性もあまりあるようには見えない。日の当たる場所に彼らの居場所はないだろう。だからマフィアに入ったはずだ。リゾットがデスクワークや接客業をできるようには見えない。プロシュートはまあなんとかなりそうだけど、ペッシは厳しそう。マフィアこそ彼らの天職だ、と彼らは思ったのではないか。門を叩いた時、引き返す場所はなかったんだろう。

なのに、結局ボスもポルポもブチャラティが好きなんかい。お前らみたいなクズ野郎はそういうここでしか咲けない花の見方であれよ、と思った。しょうがない。人間だもの。眼球を持ち歩いてたり人の顔を初手でなめたり喧嘩してフォークを人の頬に突き刺したり初対面の人間に尿を飲ませたりそれをクラゲで受け止めたりバンバン人を殺していたりと異様な倫理に生きる中でも、そこの価値判断の基準は変わらないんだ、と、私は、暗殺者チームの400分の1の魅力しか持ち合わせていないものとして寂しくなった。

さらに寂しくさせたのは、ブチャラティが作者からも圧倒的愛情を受けているようにみえることだ。ナランチャは傷ついたのではないか。
電車の中でプロシュートのザ・グレイトフルデッドを浴びた時、ナランチャは速攻で髪が抜けたり歯が取れたりとあんなに体を張ってその能力の恐ろしさを教えてくれたのに、主人公・ジョルノでさえ白髪のよぼよぼ老人と化したのに、ブチャラティは目元に皺が寄っただけだと…? 飲み物で体を冷やしていたから、というのは流石に厳しい、というか誤差では。老いは平等であれよ!!!! ナランチャが可愛そうではないか。
ナランチャ、あんなに可愛らしい見た目をしておきながら、いち早く容貌が崩れる担当としか思えない(舌がびよんびよんに伸びたりべろべろに老いたりさっくり腐ったり)ほど不憫な目にあっている。ビジュアル担当の座さえもらえないなんて。ブチャラティなんて、後半死んでいるのに、ちょっぴりやぶれるだけだ。ずるい。
ナランチャ、死に方もかわいそうだ。ブチャラティはあんなに壮大に黄金の雲に乗って美々しく去っていたというのに、アバッキオさえ元同僚との泣かせの展開があったのに、ナランチャは一瞬、しかも体はジョルノの状態という情緒も何もない状態で。死に方に序列はつけないでやってよ…。

最近、誰しもに一応はスポットが当たるような優しめの作品に触れることが多かった中、「特別な人間とその他の人間」、という図式をあまりにしっかり見せつけられて、そのビビッドな残酷さに他大勢の身として切ない気分になった。
一方で、圧倒的なカリスマ性にひれ伏したい、という欲望もあるよな〜、それもまた気持ちよさがあるよな、はざまで揺れた。
面白かったです。